私達の自己紹介


ライフペイント代表者の渡邉浩志です。大切な住居の調査に、測定に、工事にお邪魔させていただく私達は、お客様にとって初対面の場合も少なくありません。工事になれば、毎日のようにお伺して、作業をさせて頂く訳ですが、お客様にとっては、私達夫々の人柄も分からない訳ですから、どんな人が来るのだろうかと、不安をお感じになる方もいらっしゃるようです。工事の内容ばかりでなく、私達がどのような人なのか?について、少し知っていただく事で、そのような不安も和らぐのではないでしょうか?。思い付きですが、自己紹介の頁を追加することにしました。飽くまでも個人の意志で掲載するものですが、技術と人物は私、渡辺が保証致します。

代表 渡邉浩志

昭和40年1月、藤沢市鵠沼神明に生まれました。 藤沢市立本町小学校から第一中学校、相模工業大学附属高校から相模工業大学(現在の湘南工科大学)工学部機械工学科へ入学しました。育英会より奨学金をお借りしながら、四年間でなんとか卒業しました。工業大学ですから、そこそこ勉強しなければ卒業できない訳ですが、当時、大変に厳しい事で定評がある空手部の部員でもあり、これに早朝のアルバイトも重なりましたので、私にとって、気楽で楽しい学生生活には程遠いものでした。大学には、北海道から沖縄まで日本各地から学生が集まりますので、下宿生が大勢いました。誰かの下宿に、田舎から土地の名物が届くと、皆が集まり、御馳走を頂きながら、お国自慢を聞いてやる。そんな習慣がありました。生まれ育った郷里は、誰にとっても大切なものですね。皆で銭湯に通い、皆で飯を喰う、皆で励まし合って、皆で伸びて行こうとする仲間が大勢いました。当時の学生は、決して裕福ではありませんでしたが素朴でした。私は、そんな素晴らしい仲間大勢に囲まれて育ちました。振り返れば、精神的には今よりも豊かな時代だったと思います。

若い頃の私は、夢と理想ばかりが先行し、どんな素晴らしい未来が待ち受けているのだろうとワクワクしながら就職。製造業における、製造ラインの計画や進捗管理をする仕事に就きました。三年間が経過する二十五歳の頃、塗装業を営む会社の役員でありました父が病気入院、その後の障害もありましたので、これを補うかたちで同社に入社致しました。このような契機があり、以降、塗装工事業に従事することになりました。社員として十二年間の勤務の中で、多様な工事を経験し資格も取得致しました。

退職後、新たに独立、起業するまでの間、お誘いもあって政治の世界で足掛け三年、働かせていただきました。国・人・政治について、大いに学ばせて頂きました事に感謝しております。

学生時代扱かれた空手道ですが、卒業後に指導員の資格を頂きました。七年間の選手経験と三十六年間の指導経験となり、現在も練習生皆様のお手伝いをさせていただいております。

最近、料理に興味があり、インターネットでレシピを見ながら、あれこれ作ってみるのですが、思うような味にも形にも仕上がりません。料理教室に通ってみたいとは思っていますが、将来の目標としています。

以降

 

高田秀雄

私は、主に現場の責任者をしています。日々、工事現場では親方と呼ばれる立場であり、私自身も職人として、他のスタッフとともに作業をします。最近では、塗料性能の革新を感じています。現在では以前と比較にならない程に、施工後の耐用年数が伸びています。これは、お客様にも私達にも嬉しい事ですが、施工後の硬化時間が非常に短縮されております為、間違えたら修正が効かない等、以前に比べて慎重な塗装作業が必要になっています。私は岩手県の出身であり、塗装工事については今年で50年になります。長年の経験から思う事は、塗料の耐候性は飛躍的に向上しておりますが、一方、塗装技術については、置き去りにされているように感じています。塗装技術は職人の技ですから、後進の職人たちを技術者として育てることも、私達の責務です。一軒一軒が勉強の場である自覚を持たせて叩き込みます。塗装の優劣は、一般の皆様にも、施工後5年も経てば分かるものです。粗悪な工事の結果が表面に現れてくるからです。業者選びを間違えますと、後になって後悔します。塗装工事を考える時には、塗装業者を慎重に選んでください。私達の代表が申しておりますように、私達は10年後にもお客様の笑顔が見れるように、10年後の劣化を想定しながら、今の塗装工事を実行する必要があります。

橋爪

只今準備中。。。

 

 

 

田中

只今準備中